Feeds:
投稿
コメント

Archive for the ‘細密画関連’ Category

写本②

このカテゴリの更新も久々ですね。下書き自体は何ヶ月か前に書いたものなので内容とか全く覚えてません。やっべ。

引き続き、タフマースプ1世時代に作られた写本についてです。

2.Khamseh/ハムセ(五部作)

<物語について>
作:ニザーミー,13c成立 編纂時期:1539~1543

詩人ニザーミーによるロマンス叙事詩。マスナヴィー詩形(ペルシア詩の形式の1つ)を用い、5つの物語で構成される。

『神秘の宝庫』 神秘主義的教訓詩。アナトリア東部エルズィンジャンの君主、マングージャク朝のバフラームシャー・ブン・ダーウードに献呈された。1176年頃作詩。

『ホスローとシーリーン』 ササン朝の王ホスロー2世とアナトリアの王女シーリーンの悲恋を描いたロマンス叙事詩。ペルシア詩の最高傑作のひとつとも。アーザルバーイジャーン地方一帯を治めたアタベク政権エルデニズ朝の当主ジャハーン・パフラヴァーンとクズル・アルスラーン兄弟およびセルジューク朝最後の君主トゥグリル3世に捧げる讃辞が詠まれている。1177年から1181年の間に完成した。

『ライラーとマジュヌーン』 アラビア半島のベドウィンの若い男女の悲恋を描いたロマンス叙事詩。(ベドウィンの資料が無く作者は苦労したらしい)高名な頌詩詩人ハーカーニーの庇護者であったシルヴァーン・シャー朝の君主アフサターンの依頼に応じて作詩された。1181年作詩。

『七人像/七王妃物語』 ササン朝君主バフラーム5世に嫁いできたペルシア・ルーム・中国・マグリブ・インド・ホラズム・スラブ出身の7人の王妃が、出身地に伝わる伝説や民話を語る千夜一夜物語のような話。ニザーミーがこの詩を捧げた「スライマーン」とは、マラーゲのアタベク政権アフマディール朝の君主アラーウッディーン・クルプ・アルスラーンのことであると考えられる。

『アレクサンダーの書』 イスカンダル・ズルカルナインことマケドニアのアレクサンドロス3世の生涯を描いた叙事詩。2編に分かれており、『栄誉の書』で諸国征服の様子を、『幸運の書』で預言者、哲学者としてのアレクサンドロスを描く。1200年から死の直前までに完成した。

『ホスローとシーリーン』『ライラーとマジュヌーン』『七人像』は平凡社東洋文庫にて翻訳が出ています。ホスローとシーリーンはこじれにこじれていてあらすじだけでウハァ…となったので、読んだ方感想ください(投げやり)

<写本について>

編纂時期が1539年からということで、シャー・ナーメ写本(前回記事参照)の編纂終了後に作り始めたと考えられる。
パトロンである当時のシャー、タフマースプ1世は25歳。スルタン・ムハンマド、アーガー・ミーラク、ミール・サイイッド・アリー、ミールザー・アリー(スルタン・ムハンマドの息子)、ムザッファル・アリーなどの画家たちによって描かれた。シャー・ナーメより均一的。

シャー・ナーメから引き続き宮廷画院のベストメンバーで描かれたのだろうと思われます。こちらも負けず劣らず素晴らしい作品。 ちなみにミール・サイイッド・アリーは、後にインドから逃げてきていたムガル皇帝・フマーユーンについていきカブールで活動することとなります。というのも、ハムセ編纂後からパトロンであるタフマースプ1世が細密画への情熱を以前ほど持てなくなるからなのですが、その話はそのうち書こうと思います…

ではそんなハムセから1枚。

‘Khusrau Listening to Barbad Playing the Lute’, from a Khamseh of Nizami, ascribed to Mirza ‘Ali, Tabriz, dated 1539-43

前述したスルタン・ムハンマドの息子、ミールザー・アリーの作と言われているもの。スキャンなので画質はご容赦ください。
私が個人的に一番気に入っている絵です。色彩が本当にきれい!当時の宮廷の様子もよく分かる作品。

ところで最近ティムール朝を調べてたらそっち方面にも手を出したくなった。きりがない。そして資料が少ない。

Read Full Post »

写本①

今回は、サファヴィー朝写本芸術の最盛期に作られた主な写本と物語について簡単に解説しようと思います。

物語の解説に使用した参考文献は、たまたま図書館で見つけた『ペルシアの詩人たち』(オリエント選書、1980)です。古い本ですが、ざっと基礎知識は頭に入るのではないかと思います。

1.王書/シャー・ナーメ(Shahnameh)  作:フィルドゥスィー  写本編纂時期:1522?~1535?

<物語について>

ペルシア文学の中でも最も有名な長編民族叙事詩。イラン民族固有の伝説を基礎とし、天地創造からササン朝滅亡に至るまでのイラン歴代の王者や英雄の事跡を、純粋なペルシア語をもってうたいあげた。ゾロアスター教的善悪二元論・宿命論・運命論的性格が強い。(参考:ブリタニカ)

これは岩波文庫版(訳:岡田恵美子)を読みました。残念ながら尺の関係で伝説時代~英雄時代までしか載っていませんが、詩から文章へ書き下してくれているので読みやすいです。

フィルドゥスィーがアラブ人とペルシア人の違いを強調しようとしたのは明白で、「アラブ人は四角い石(カーバ神殿)に向かって祈るけど、我々イラン人は昔は火に向かって祈ってたんだよね~」なんてことも書いてます。

イスラム教徒なのにゾロアスター教に嫌悪感を抱いている感じもまったくしません。「みんな死ぬのに現世に執着しちゃいかんよね」とか「残酷だけど運命だから受け入れなきゃね」とか割と日本人なら納得できるような世界観でもあるので興味深いです。

しかし、イラン人の心を掴むっぽいロスタムとソホラーブの話なんか納得できない。

<写本について>

スルタン・ムハンマドを編纂責任者として、イスマーイール時代から作られタフマースプに献上されたもの。およそ280枚の絵が収められ、”Shah Tahmasp’s Shahnameh”として知られる。サファヴィー朝時代の写本芸術の最高傑作との誉れ高い。

ペルシア細密画といえばこれ抜きでは語れない、ってほど凄い作品。欲しい!と思ったあなた(私ですが)朗報です。なんと書籍化しています。

それがこれ(デラックスエディションもあるよ) アマゾンで買える!!そして安定のメトロポリタン美術館!!ちなみに私は神保町の某古本屋で見つけました。原価16,000のところがプレミアついて4万超えてた。

大きさ(かなりでかい)と値段で買えず、悔しさから背表紙を撫で撫でしてしまって友人にドン引きされました いつか買う。

そんな王書から1枚紹介します。でかくて申し訳ないです。

“The Feast of Sadeh”(サデの祝宴) 伝スルタン・ムハンマド画 1520-22頃

イラン伝説の王・フーシャングが火を発見し、その夜廷臣と動物たちを集めて火に潜在する力について講釈している様子を描いたもの。写本中でも最も壮麗な一枚。

この写本の絵はネット上でもたくさん見られます。興味を持った方はここがおすすめ→メトロポリタン美術館HP

Read Full Post »

ヘラート出身の巨匠ベフザードには弟子がいっぱいいました。

その弟子や、ベフザードの画風に影響を受けた画家たちが将来サファヴィー朝の宮廷画院で「写本の最高傑作」を作る主力メンバーとなっていきます。
今回は15世紀前半~1550s(イスマーイール~タフマースプ時代)までの主要な画家たちを紹介します。

スルタン・ムハンマド/Sultan Mohammad
べへザードの後を継ぎ、宮廷図書館長となる。写本”Shah Tahmasp’s Shahnameh”(王書)の編纂責任者。1520~30s頃活躍。画院の中では古株で、絵画だけでなく染織などにも多大な影響を与えた。構成が緻密で、中国絵画の影響も受けていることが分かる。
彼はイスマ末期~タフマ前期の時代にかけて活躍した画家であり、シャーの画院でも傑出した能力で知られたそう。 代表作は以下の2枚。

Court of Gayumars (Shah Tahmasp’s Shahnameh)伝スルタン・ムハンマド画
幻想的な岩の描き方や、雲の描き方などから中国絵画の影響を受けていることが分かると思います。とにかく緻密!細かい!
絵は王書の一場面を描いており、中央上には伝説上のイーラーン最初の王・カユーマルスが座り、左側には孫で2代目を継ぐことになるフーシャングが立っています。

The ascent of Muhammad to heaven (Khamseh) 伝スルタン・ムハンマド画

ムハンマドが天国へ昇天していく様子を描いたもの。『ハムセ』写本からきています。ハムセって何かな~とぐぐってみたところ「約30,000の対句(バイト bayt)から成るマスナヴィー詩形の五部作」 なるほどわからん

ちなみにいくつかのソースには「スルタン・ムハンマドはアーガー・ミーラクの弟子」と書いてありますが、スルタン・ムハンマドの活躍時期のほうがアーガーより早いこと、また師を差し置いて宮廷図書館長になるのは疑問があることから師弟関係が逆ではないかと思います。(個人的な意見ですが…)

Aqa Mirak/アーガー・ミーラク

タブリーズ派の主要画家。1530s~50s頃活躍。イスファハーン出身で、べへザードの弟子。師の画風の影響を強く受けているがより装飾的。彼や同時期に活躍したMirza  Ali, Muzaffar Ali はスルタン・ムハンマドら前世代と違い、豊かな色彩と人物描写の細かさで知られる。『王書』『ハムセ』写本の製作に関わっているはずだが、いまいち分かっていないらしい。1550sに製作開始されたFalnameh写本の責任者。

タフマースプ1世の信頼があつく、非常に親しい友だったとされる。タフマースプが細密画への情熱を失った1550年代以降も宮廷に留まり、宮廷の重要職に任命されつつ写本製作リーダーやってたりする忙しい人。(もしかしたらそういう関係だったかもねっていう説もあるよ)(というか最初親友だったって聞いたとき、タフマに友達いたことに驚愕した

代表作を紹介したいところなんですが、どうやら彼はサインを全く残していないらしく後世の推定になります。

Prince Reclining ca. 1530 Aqa Mirak, Safavid period

王族の子弟がクッションにもたれかかって読書をしている様子を描いたもの。なんつーか、美少年ですね(迫真)

1530辺りということで、シャーもしくは弟のいずれかがモデルでしょう。夢が広がりますね(黙れ)

ちなみにこのような肖像画のようなものは1530~40年ごろたくさん描かれたようです。高貴な生まれの美しい若者がモデルとなったとか。

次回は写本の説明をしようかと思っております!画像多いと楽しいですね!

Read Full Post »

時代はサファヴィー朝に移ります。先だって紹介した本(the great age of persian art)の作者はどうやらタフマースプの大ファンらしく、イスマーイールの記事を読んでいるはずなのにショタタフマ君が随所に現れます。俺得。

それはさておき、サファヴィー朝の細密画史を私なりに分けてみます。

1 イスマーイール期 ヘラートからの技術移転

2 タフマースプ期 最盛期

(3 停滞期) 絵画どころではない

4 アッバース期 なんか個性的になってきた

5 それ以後 段々西洋画の影響が増し写実的に

私はてっきりアッバース期が全盛なんじゃね?レザー・アッバースィーとかいるし??と思っていたのですが、どうやらそうではないみたいです。

アッバース期は大帝の庇護の下で文化産業が全盛を迎えますが、その繁栄は芸術というよりは「産業」としてのものであり、画院は流れ作業的となり質が落ちたと…

一方で画家の個人的センスが光るようになり、画家がサインをするようになるのもこの頃なのですが。

では最盛期はいつか?本のページ数が示すとおり、2番のタフマースプ時代です。

先だって読んだ三日月の世紀のタフマースプ評はボロクソでしたが、美術史上に彼が占める位置は相当のものなのでしょう。ひいきしてるわけじゃないよ史実だよ(棒)

というわけで次回からは種本に基づき1~2の時代からやりたいと思います。

 

これだけではなんなので、美少年でも載せておきますね(唐突)

“Saki” Riza Abbasi, Iran, 1609 A.D.

酒姫(サーキィ)は好まれた題材のひとつです。イスラム教では女性が働くことが禁止されているため、宴会場での給仕を代わりに務めた美少年たちのことを指します。

お分かりでしょうが、少年愛の対象にされました。

よく酒姫は絵の中で絡まれたり見つめ合っていたり絡まれたりしています。

以前、地元でやっていた小規模なルーブル展に来ていた絵もそんなんで、一般客がガン見していました。彼らの脳内にはサファヴィー朝に対する誤ったイメージが植えつけられたことでしょう。

え?私?三周回って一般客の数倍はガン見してましたけど何か問題でも?

 

 

Read Full Post »

イラン細密画の直系の先祖?であるティムール朝の絵画について。

元々細密画とは小型の技巧的な絵画のことを指します。

当然ながら西洋にも東洋にもどこにだってあるものです。イスラム世界では写本の挿絵、彩色ページ、縁飾り…などの装飾として発展しました。

イランにおいてはイル=ハン国時代から中国絵画の影響を受けて発展したようです。それを受け継いだティムール朝絵画は、15世紀末、ヘラート政権のスルタン・フサインの宮廷で最盛期に達します。

ちなみにヘラートは絵画だけでなく建築その他でも相当洗練されていたようで、ヘラート信者は多数存在するっぽいです。これについてはそのうち紹介できればいいなと思います(希望)

では実際に見てみましょう!

“ユースフの誘惑” BIHZAD, Yusef vlucht voor Zuleykha (Jozef en de vrouw van Potifar), 1488, Herat, Afghanistan

複雑に入り組んだ家の中で、美少年ユースフが自分が仕える家の主人の奥さんに迫られている場面を描いたものです。

べへザード(1455?~1536?)による有名な作品。彼はスルタン・フサインの庇護を受けて活躍したヘラート派の中心画家です。ヘラート美術院院長を務め、スルタンの死後はサファヴィー朝のシャー・イスマーイールにタブリーズに招かれて宮廷図書館長となります。タブリーズ派の基礎を築きました。

ヘラート派とかタブリーズ派とは細密画の画派のことです。京都画壇とか東京画壇のようなものでしょうか(適当)

ブリタニカによると、べへザードは「いきいきとした人物描写と自然主義的な風景を、豊かな色彩と調和させて情趣ある画面を構成し、中国的要素の少ないペルシア・ミニアチュールの作風を確立した」らしいです。

The construction of castle Khavarnaq (Arabic الخورنق) in al-Hira, c. 1494-1495 C.E.

城の建設現場を描いたもの。これを見ると確かに自然主義的かもしれないですね。労働者の姿が生き生きと描かれています。

バハザードの弟子にはアーガー・ミーラクなどがいるのですが、その話も後日書こうと思いますー。

えーと正直私は美術専攻でも史学専攻でもありませんので評価できるほどではないのですが、ティムール朝の時点でこんなに洗練されてるとは正直思わなかった()

恐るべしヘラート…。

Read Full Post »

種本とか

イラン細密画が好きだ!紹介したい!というか世界史について長々と語る場が欲しい!

ということで、ブログ開設に至りました。よろしくお願いします~。

まず私が細密画を語る上でひっぱったり参考にしたりしている2冊を紹介したいと思います。

メトロポリタン美術全集/イスラム 福武書店、1987年

ニューヨーク・メトロポリタン美術館(通称メッツ)のイスラーム美術コレクションを集めた大型画集。

ケースを開けるとそこには元気なシャー・ジャハーンが!うわあきもい!

7世紀アラブから17世紀インドまでイスラーム世界全般を網羅していて良いです。説明も細かくかつ分かりやすいので何度も読んでいます。

何気に使えるのが巻末索引で、支配者から都市まで美術史から見た説明が書かれていて興味深いです。

定価5800円。私は上野の古本屋で1500円で購入しました(ドヤァ

Golden Age of Persian Art Sheila R. Camby    British Museum Press, 2002

洋書です。ペルシア美術の黄金期という題名が示すとおり、サファヴィー朝時代の美術だけを集めた画集兼概説書。

この本が凄いのはサファヴィー朝のシャーそれぞれの時代の美術を説明しているところです。(イスマーイール時代、…など)

しかも美術史だけでなく、シャーそれぞれの伝記まで書いてくれているというサービス精神!すごい!

ただし英語なのでほとんど読めていません。

分量的にはアッバース時代にページを割いているかと思いきや、

まさかのタフマースプ時代メイン(40ページ) ※イスマーイール時代14ページ、アッバース時代26ページ

作者に親近感を覚える。

内容はぼちぼち紹介していきたいと思います。いつになったら全部読めるのかな(遠い目)

Read Full Post »