ティムール朝末期の君主スルタン・フサイン・バイカラーを推してます(2回目)
彼はアブー・サイード死後のどさくさに紛れてヘラートを奪取し、ヘラート政権の君主となった人物です。(1468ごろ)
この当時ティムール朝は末期も末期で、各地で王子は反乱起こすわウズベクは突っ込んでくるわと大変な状況です。
バイカラーはなんとかそれらに対処し、都ヘラートは文化が栄える素晴らしい都市となりました(まとめ)
もちろん彼の死(1506)後にすぐに帝国は滅亡するんですがね…
そんなバイカラーには「弁明(Apologia)」という著作があります。こちらから見れます(英語)。
タイトルからして自省録的なのを想像していたのですが、実際は終始ミサワ顔でした。うっぜ。
構成は 神への感謝→君主としてのあるべき姿→ヘラートの繁栄自慢→ナヴォーイー語り です。
このナヴォーイーという人物、本名をミール・アリー・シールといいます。
「ナヴォーイー」は雅号で、詩人としてチャガタイ・トルコ詩を多く残す他、政治家・パトロンとしても活躍しました。バイカラーとは幼いころからの親友で、途中仲違いを起こしながらも、生涯にわたりバイカラーを公私共に支え続けた人物です。
そのナヴォーイー自慢で弁明の3分の1以上が占拠されていました。
これは訳すしかないだろ。というわけで全く弁明してないバイカラー君の弁明、後半部分を訳したので雰囲気だけでも味わっていただければと思います。
※注意点※
・修辞法が煩雑すぎて、また私の英語力の欠如から、意訳したり飛ばしたりした部分が多々あります。
・詩は省略しました。(後で追加するかもしれません)
・直訳調でめっちゃ読みにくいです。
・上の理由から、あくまで雰囲気を味わうくらいのノリで読んで頂けるとうれしいです。
・とりあえず不明な点があれば上の英語原文を読みましょう!(投げ)
・[]内は私による補足です。
以下、リンク4ページ一列目31行目から
* * *
他にも、言語の美の天頂におけるカノープスのように輝く詩人や、詩句の力強い表現と巧妙な韻文で知られる詩人がいる。天は、このような詩人たちをかつて創ったことはなく、現在、[ヘラートを除く]世界のどの場所においても彼らに比肩する人々はいない。
才能に溢れ、その才能を認められているたくさんの詩人が思い起こされ、また言及されるヘラート近郊(神が荒廃からお守りくださっているのであろう)では、詩歌の紐で言語の真珠を繋いだり、言語の宝石を磨きいっそう輝かせる職業に就いている1000人近い詩人たちがいる。
1000人のうちにそのような人々が10人もいるような時代は他にはなく、また、100人のうち1人いるような場所も他にはない。
その名に言及されたり叙述されたりする詩人たちは、ペルシア詩の宴に列し、ペルシア語の海で泳ぐ能力を誇示してきた。
しかし、今日までトルコ語の衣服を身にまとった人物は存在せず、そのような衣服の欠如によって、トルコ語の天使のような美は、私の臣下で従者の1人、クカルタシュリク(乳兄弟)の階級まで到達した人物、忠実な奉仕の道を通して交際の財産を積み上げ、閉ざされた空間における神聖な聖霊のような私の親友であり、夜の談話の秘密の共有者、真実を語る上では非常に大胆な人物――私が指しているのはミール・アリー・シール、その”ナヴォーイー”という雅号で知られ、その詩の中に彼の雅号が暗示されている――であるが、彼が現れたこの幸運な時代まで明らかになってこなかったのである。
彼はその救世主のごとき息をもって、死体と化していたトルコ語に命を吹き込んだ。
彼は、トルコ語の縦糸と横糸で織られ、絹地に刺繍が施された、蘇ったトルコ語の衣服に袖を通した。
彼の春のような詩才から生まれる詩歌のように落ちる雨粒で、様々な色の薔薇が詩の庭に咲き誇り、彼の心の雲から落ちる雫で、詩歌の海に様々な色の真珠が散らばっている。
彼がその馬で乗り入れたどの詩の競技場においても、彼はそのペンの剣をもって、服従に至らしめた。
言葉は彼の作品を描写するのには不十分である。私は、私が話した題から彼が作ったマスナヴィーのひとつからいくつかの詩を思い出した。それらは次の通りである。
<詩>
これらの詩が彼の詩才から生まれたとき、人々は誇張で尊大だと考えた。しかし、この幸運な時代、そしてこの永遠に繁栄していく国家のもとで、彼は詩集に着手し、完成させるために熱心に取り組んだ。
ニザーミーは誰もが認める詩歌の名手であるが、彼が詩を完成させるのに30年かかったことはよく知られている。また、ミール・ホスローは3万の詩を1万8千にまで縮めたことで知られるが、完成までには6~7年を要した。
しかしこの修辞法の競技場の王者、また修辞の密林の君主は、多くの話の中に愉快な解釈や魅力的な改良を施したにも関わらず、仕事の始まりから作品を完成させるまでに2年もかからなかったのである。
もし誰かが、実際に彼が製作に費やした時間を計算したら、6ヶ月もかかっていないだろう。
また、彼の詩を熟読した者は、彼の物語の多様性、韻文の魔術、後世の力強さ、そしてその真意の巧妙さを理解するであろう。
彼は、マスナヴィー体だけでなく、かつて試みられ、あるいは記録されてきたアラブの中の韻文とペルシアの中の甘美を備えた全ての詩体で、「目録」の中で言及されている彼の詩集の説明を書いた。
私が詩集を誦んだだろうか?神がお許しにならないだろう!それは純粋な言葉の真珠に溢れた小箱であり、純潔な意味の星が散りばめられた天の1ページである。
<詩>
彼の詩のどの一節が恋人たちの魂に火を投じなかったことがあろうか?彼の詩のどの引喩が別離の悲しみをいっそう激しくしなかったことがあろうか?彼の詩のどの半行[韻文の用語]が別離に苦しむ人々に涙の激流を起こさなかったことがあろうか?詩の王国において、彼が達した強大な要塞の中でその門を開かなかったものがあろうか?
現在、彼は詩歌の世界の王であり、その世界を征服した者として、sahib-qiranと呼ばれているのにふさわしい。
<詩>
この国のこの時代に、このような素晴らしい作品と驚嘆すべき詩歌で知られる詩人が現れたこと、そして神が彼をこの神聖な宮廷の臣下として、天使のような賞賛者の長としたことも、私の神への大いなる感謝の理由のひとつである。
<詩>
[終]
* * *
何よりも修辞がやばいですね。あと全体的に恥ずかしいですね。書き写しててむずむずしました。
この二人のエピソードは「ムガル皇帝歴代誌」、「中央アジア歴史群像」に詳しく載っていますのでぜひそちらもご覧ください。
へぼい訳ですみませんでした(土下座)